徒然

日々思ったことをつらつらと書いていこうと思います

家族の形(1) -夫婦別姓-

   私は後輩の指導をするために、先生のアシスタントとしてゼミに参加している。そのゼミで夫婦別姓を取り扱った。私のゼミでは4人中1人が反対していた。   私は同性婚を研究している。その関係もあり、そのゼミでは家族の形になった。家族の形に法律はある程度の関与をしている。もちろん法律のいう家族が家族ではない。しかし、法律が予定している家族から外れると、不利益が多い。そのため、法律が多様な家族を容認することは不可欠であろう。そこで、何ができて、何ができないのかを、家族の形を見ていきたい。

 


夫婦別姓とは
  数年前、最高裁違憲訴訟で合憲判断がなされたのは選択的夫婦別姓だった。これは夫婦を同姓にするか、別姓にするか選択できるというものである。夫婦別姓は、夫婦が各々別の姓を名乗るというものだ。人権、個人の尊重、アイデンティティなどさまざまな観点から導入が求められている。女子差別撤廃条約も別氏を名乗れるよう求めている。
   現状、日本では9割ものカップルが男性サイドの姓を名乗っている現状にある。民法上は夫または妻の姓を名乗ることとしており、女性サイドも選択できる。しかし、男性が妻の姓を名乗ると、婿養子などと呼ばれ、なかなか名乗りづらい状況にある。上記の数字がそれを物語っているだろう。

 


かつての家族システム
   かつて、日本の家族は、男性をトップにした家父長制であった。女性には行為能力がなく、夫の判断がなければ何もできなかった。女性は家庭内の労働力として、家に入ることになる。当然、権利などない。日本国憲法制定時に、起草委員の一人が、日本の女性のひどい状況を是正するためになんとか力になりたかったと述べ、憲法24条をまず最初に考えたと言われるほどである。
    このような仕組みが整えられたのは、明治である。明治民法(現代の民法のベースは明治のものだが、憲法の近代化によって多くの部分が変わっている)が規定していた。かつては、夫の姓とされていた。上述の家制度からも容易に想像できるだろう。ちなみに、家父長制は伝統的なものではなく、明治期にできたものである。このシステムを指して、伝統的家族観などと言っているのであれば、日本か培ってきた歴史が無駄になるかもしれない。
   現在も9割以上が夫の姓を名乗っていることから、明治の家族システムを法が変わっても、時代が流れてもひきづっていると思える。男性を主人と呼ぶのもこのシステムをひきずっているのかもしれない。ある意味で夫の家に入る=姓を名乗ると捉えられるのだろう。これは、長い年月をかけても変わっていないという残念な結果だ。

 


容認の動き
  政治の場面でも、法律の場面でも多くの議論が重ねられてきた。1990年代に入り、議員が議論する会を開き、法律化に向けて動いてきた事実がある。しかしながら、容認されなかった。
   近年の裁判においても、個人の尊重(憲法13条)を基に違憲だとし訴訟を起こしたが、アイデンティティに関わっても個人の尊重に関わるものではないとして、合憲との判断がなされた。しkし、ギリギリ過半数による合憲判断で、女性裁判官は違憲としたとかしていないとかいう噂が流れている。
   残念ながら、合憲とされたことで、議論の熱が一気に冷めたといえよう。世間的にも注目を集めた議論だったが、一気に冷えていった。最高裁が常に正しい判断をするわけではない。疑問のある判断を下すことも多い。しかし、影響は大きい。残念な結果である。

 


権利の性質
  夫婦別姓は、男女へ認められた権利であるが、世界的に女性への権利というコンセンサスがある。確かに、婚姻後、女性の姓を名乗られることが少ないことから 、女性の権利ということになるだろう。国連も女性差別撤廃条約夫婦別姓について述べていることからも明白だ。
   女性の権利となると、世間的なコンセンサスを得にくい現状があると私は考える。男性にとっては当然に“どうでもいい”権利になってしまう。そこに加えて、女性の中でも権利容認を良しとしない層がある。女性が権利を主張するとき、女性が権利を求めるなんてけしからんなどという人もいる。戦前の思想が今も根付いていると思うと、残念である。
   夫婦別姓という権利はあらゆる側面から説明される。アイデンティティや個人の尊厳である。私個人的に姓に対して何らの気持ちも持っていないので、積極的に名乗りたいとは思わないが、男性に支配されてきた女性というシステムの遺産である側面があるなら早急にやめるべきシステムだと思う。近年の判例では個人の尊厳には当たらないとの判断がなされた。個人の尊厳はいかようにも取れる。全部容認しろまでは言わないが、戦前の遺産であり、批准している条約でも推進され、世界的潮流として夫婦別姓がある。そんな中で否定し続けているこの国に対して、ため息が出てしまう。

 


姓で見るさまざまな家族の形
  ファミリーネーム(姓)は、各国によって大きく異なる。夫婦別姓でよく言われるのが、子どもの姓である。どっちの姓を名乗るのか問題だから、夫婦同姓でいいとも言われる。たしかに、これは夫婦別姓を選択したカップルにとって死活問題だろう。それゆえ、カップルがそれぞれ平等な立ち位置に立って、話し合い、納得することが大切になるだろう。
   スペインでは、父方と母方のファミリーネームを共に名乗っている。当然、その父もその母も同じだ。そこでもどれを選択するかという問題はあるものの、父と母のいずれのファミリーネームも名乗れるわけだ。ダブルネームになる国はスペイン以外にもそれなりにあるらしい。新しい姓を作り出す国もある。また、ミャンマーではファミリーネームがない。名前が3つあり、いずれも自分のファーストネームになるみたいだ。
   日本では伝統的家族観などと言って、旧システムを維持しようとする。しかし、上述の国の家族がバラバラかといえばそういうわけではない。かつて、夫婦同姓で、夫婦別姓に変わった国も多くあり、そこでは以前と変わらず、ある程度の結束を持ってしあわせな家族生活を営んでいる(当然中には幸せでない人もいるだろうが)。全てを日本に輸入できないが、同姓を名乗ることだけが、家族ではない。法律上の同姓の強要、そして、社会的に夫の姓を強要していることがどうも旧態依然とした戦前の家族観を感じてしまう。
   合憲判決が出て以来、議論がされなくなった夫婦別姓であるが、今一度考えてみてほしいと思う。